故郷の廃家
甘口、辛口の雑記ブログ。 少女時代の思い出と、現代の風潮への怒りとの、2つの ベクトル上で行き暮れる。 団塊嫌いの団塊による、すべての世代の人へのメッセージ。


カレンダー


05 | 2009/06 | 07
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -


プロフィール


沈丁花さん

Author:沈丁花さん
FC2ブログへようこそ!



最新記事




最新コメント




最新トラックバック




月別アーカイブ




カテゴリ


未分類 (1)
雑記 (8)
思うこと (39)
教育 (1)
愕然としたこと (0)
NHK (0)
文化論 (5)
消えゆくもの (16)
自然 (0)
私の愛する本たち (1)
私の好きな花たち (1)
(0)


メールフォーム


名前:
メール:
件名:
本文:



FC2カウンター




検索フォーム




RSSリンクの表示




リンク



このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム


この人とブロともになる



QRコード


QRコード


--.--.--  スポンサーサイト <<--:--


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


No. / スポンサー広告 // PageTop▲

2009.06.23  エネルギー問題 その一 原子力発電 2 <<03:36


1.石油資源はあと何年くらいもつのか。

今、世界のエネルギーの大部分を担う石油資源というものが、
無限にあるのなら、誰も原発という危険なものを求めはしないだろう。
しかし、石油資源がやがては枯渇する。だからこうやって世界が憂うのである。

それでは、その石油資源が一体いつごろまでもつのか、というと、
どの本を読んでもはっきりとは書いていないのだ。
つまり、石油資源の埋蔵量があとどのくらいあるのか、実はわからないのである。
ある人は、自分の母親の世代の人が若い頃、「石油はあと3,40年しかもたない」と
聞いた、と言っていたと言う。
もうそれからとっくに3,40年は経っている。でも、石油はまだなくなってはいない。
そうして、3,40年前と同じことがまだ言われている。
「石油はあと、3.40年くらいしかもちません。」と。

一体あとどのくらい石油はもつのか。誰もはっきりとは言えないのである。
まだ資源として発見も発掘もされていない場所が世界のどこかにあるかもしれない。
世界の石油産出国は、あとどのくらいあります、などと発表したりはしない。
世界の石油はあと100年以上は優にもつのかもしれないし、
あるいは発掘量のピークはもうとっくに過ぎていて、このままの調子で使い続ければ、
本当にあと3,40年くらいで、石油は無くなってしまうのかもしれない。
要するにはっきりとはわからないのだ。

ただ一つ、確からしいと思えるのは、
石油がいよいよなくなりそうだ、となるそのはるか前に、
石油がいよいよ減少、とはっきりした時点で、その奪い合いが世界で始まり、
石油価格は暴騰。我が国のように、石油を輸入に頼らざるを得ない国では、
それは、即、経済の、そして、国民生活の破綻を意味する、ということである。

だから、まだ石油があるうちに、石油に代わるエネルギーを準備しておかねばならない。
このことはもうはっきりしている。
また、石油、石炭などを燃やせば、二酸化炭素を大量に排出し、
それが地球温暖化の遠因と考えられていることは周知の通り。
この、「地球温暖化」、という問題も、もう待ったなしに、
私達が考え行動しなければならない問題なのである。

そこで、原子力発電、ということが出てくる。
原子力発電に使う、ウランは、ほんのわずかな量で大きなエネルギーを生み出す。
それではそのウランは一体どのくらいあるのだろうか。


2.ウランその他のエネルギー資源はどのくらいあるのか。

原発による発電の、日本における中核をなしている関西電力のホームページを
見てみよう。反対派の資料にのみ傾くということを避けるためにも。
関西電力「もっと原子力のこと―世界のエネルギー資源確認埋蔵量」
http://www.kepco.co.jp/bestmix/contents/03.html
これによると、石油が42年。
        天然ガスが60年。
        石炭は133年。
        ウランは100年。  [2008年現在]
この数字は、「確認埋蔵量」、とあるから、
現在世界にこれこれの鉱脈や埋蔵場所が確認が取れているので、
現在の技術と経済性から判断すると、これだけは将来使えるだろう、という、数値である。
この年数で各資源が枯渇してしまう、という数値ではないそうだ。

だから、新たな大鉱脈や大規模な埋蔵場所が発見されれば、
これらの資源はもっと先まで実はあります、ということになるかもしれない。
また、従来の油田からの回収技術にはまだまだ伸びしろがあるので、
回収の際の無駄が減れば、それだけ産出量は増える。

しかし、ここで、なあんだ!と、ほっとは出来ない。
考えてもみよう。
石炭や石油が生成されるのに、どれだけの年数がかかったか、というと、
数億年、数千万年~数千年という年月がそれぞれかかっているのだ。
それを、私たち人間はどのくらいの年月で使い尽くそうとしているか。

石炭も石油も、古くからその存在と価値は人類に知られてはいた。
しかし、石炭だと、薪の代わりとして使われだしたのが16世紀。
本格的に産業として本格的に使われだしたのは、18世紀、
蒸気機関車や製鉄業が盛んになってからである。

石油に至っては、ディーゼルエンジンが発明されたたのが1893年。
本格的にモータリゼーションが盛んになって行くのが1930年代。

石炭は300~500年。石油に至ってはわずか70年から100年の間に、
私たち人類は、そういう長い年月をかけて生成してきた石炭や石油を、
その埋蔵残量が危ぶまれるくらいまでに、どぶどぶと使い続けてきたのである。
そうして、40年後、100年後、200年後の人々はもう、
石炭や石油を私たちのように使うことはできない。

さて、そこで、ウランの登場である。原子力発電である。
ところが、このウランというのも、実は無限に使えるわけではない。
上記調べでは、100年という数値が出ている。
石炭や石油と、埋蔵量において大した違いはなさそうだ。
ではなぜ、原子力というのが、化石エネルギーに代わり得る夢のエネルギーとして
考えられているか、というと、ウランを原子力発電に使い、使い捨てにすれば、
上記のように100年という数値になるけれども、
これを再処理してプルトニウムを抽出し、適する原子炉でまた使っていくという、
いわゆる核燃料サイクルを続けていけば、100年が数百年、数千年に延びると、
考えられているからなのである。
まあ、それが可能とすれば、半永久的エネルギーといっていいだろう。

3.化石燃料に代わる代替エネルギーについて。

現在考えられている代替エネルギーにはどんなものがあるのだろうか。
 ① 原子力        ⑥ 潮力(波力)
 ② 太陽熱        ⑦ 地熱 
 ③ 水力          ⑧ バイオマスエネルギー
 ④ 風力          ⑨ 石炭の液化・ガス化
 ⑤ 天然ガス

などがあげられるだろうか。
⑨は、まだ埋蔵量に余裕があるがしかし、燃やすと
地球温暖化ガスを大量に排出する石炭を、液化・ガス化処理することによって
空気を出来るだけ汚さないエネルギ-にして、使い続けようという試みである。

このほかに、
 ⑩ オイルサンド    ⑪ オイルシェール
などというものも考えられている。
これらは鉱物油分を含む砂岩、石油のもととなる油母を多く含んだ岩石のことで、
世界各地にかなりの埋蔵量があり、注目されている資源である。
ただしこれらを熱分解したり化学処理して合成石油を採るための過程で、
排出ガスの問題があったり、水質汚染など、環境汚染の問題が
出てくるので、これからの研究を待たねばならないものではある。

こうなると、原子力が一番効率的で将来性のあるエネルギーのようだが、
今の原子力に関する日本の、そして世界の状況はどうなっているのだろうか。
原子力発電の仕組みと実態については、次回以降の記事で書くことにしたい。


その前に、一言言っておかねばならないこと。
今挙げた代替エネルギーはすべて、その働きが、熱源、発電、動力というものに
しか使えないということである。
今一番期待されている原子力にしろ太陽熱にしろ、発電や熱源、動力に
使えるだけ。
石油のように、発電、熱源、動力のみならず、プラスチックとなって人間の生活の
建材からこまごました生活用品から何からまでに加工され、また、
衣料から、化粧品、可能性としては食料にまで使える石油、というもののようには
なれないということなのである。
身のまわりを見渡せば、石油製品でないものを探すのが困難なほど、
石油は我々の生活に入り込んでいる。

代替エネルギーが果たせる役割は、石油が今私達の生活に果たしている役割の
一部を補うにすぎないのである。
その一部というのが大きな比重を占めるものであるから問題になっているわけだが。

なににせよ、代替エネルギーが見つかれば、今の生活をそのまま続けていっていい、
というわけのものではないのだ。
今ある石油は、出来るだけ節約していかねばならないと思う。
それには私達の生活のし方自体を変えるしかないのではないだろうかと
私は思っている。
スポンサーサイト


No.118 / 思うこと / Comment*14 / TB*0 // PageTop▲

2009.06.23  「エネルギー問題 その一 原子力発電 1 」  <<02:41


6月20日から21日にかけて、NHK 総合テレビで、環境問題特集、
SAVE THE FUTURE という番組をやっていた。
討論番組あり、環境を守る取り組みをしている地域住民たちのレポートあり、
音楽あり、また、最後には、21日が夏至だということで、
日本のあちこちで、電気を消して、キャンドルの明かりにし、
環境問題について、みんなで考えよう、という、大がかりなプロジェクトあり。
メインパーソナリティの一人にに藤原紀香さんを据え、
中央と地方、海外など、テレビ局と一般市民をネットでつないで、
アンケートに答えてもらったり、意見を言ったり、まあ、とにかく
「大騒ぎ」という印象の番組であった。
とりわけ最近の10年くらいで目立つようになった、NHKアナウンサーの騒ぎぶりが、
今回もだいぶ気になった。
私は時々見たに過ぎないので、この放送がどれほど、視聴者の
環境問題への意識を高めることが出来たのか、はっきりしたことは言えない。
この番組自体が、エネルギーの無駄づかいなんじゃないの、と思わされることもあったし、
まあ、こう言うお祭り騒ぎの形にでもしなければ、
一般庶民が環境問題に関心を持とうとしにくいのであるとすれば、
これはこれで仕方がなかったのかな、とも思わされた。
まあ、結論から言えば、人々に考える機会を提供したということは
やはり意味のある番組だった、と考えたい。

ここではっきりしたことがいくつかある。
一つは、地球環境を考え私達の未来を考えて、
エネルギーの問題に真剣に取り組まねばならない状況というのは、
もう待ったなしになっているのだな、ということ。
一つは、エネルギー問題について、そうした認識を多くの人に持ってもらうためには、
経済の問題を同時に考えていかねば、机上の空論に近いものに
なってしまうんだな、ということ。
一つは、エネルギーの問題、地球温暖化、貧困、格差、紛争、食の安全・・・。
これらの問題は、それぞれが単独にあるのではなく、みな複雑に絡み合っている
のだな、ということ。

何を今更、と思う当たり前のことなのだが、番組を見ていて、改めてそれを
強く実感し直した、ということなのである。

さて、前に言った通り、原子力発電のことについて、
きちんと向き合って書く、ということをしなければならない。
数回にわたって書いていくことになると思う。

まずは、6月7日付の私の記事、「原子力発電に反対」に関して、
ある方から、「マニフェストというものは、優先順位の高いものから書いていくもの。
なぜ、原発反対、をトップに持ってくるのか、そのしたいことろがわからない。」
というご質問をいただいた。
それに対する返事はすでにコメント欄に、レスとして書いてあるが、
ここでもう一度、しっかり返事を書いておきたい。

いまさらこんなことはとても言いにくいことなのだが、
そもそも、「私のマニフェスト」というタイトルは、私が、一種の「ノリ」で、
つけてしまったタイトルである。
私自身は政治家ではないし、これからも、ここで何か政治的発言を続けて
政党のようなものを立ち上げようとしているわけでも何でもない。
ただ、世の中のあれこれについての私なりの考えを、書いてみようと
思っただけなのである。
そんな軽い気持ちで書くものに、「マニフェスト」という、
重い言葉を使ったことが、そもそも、私のいたらなさであった、と深く反省している。
今は本当に政治が混迷の度を深めて、選挙も近い時期。
各政党の打ち出すマニフェストは、この国の未来を即左右する、
重みを持った大事なものである。
それを、私のような素人が軽い気持ちで口にすべきではなかったと、
いつも私の記事を読んでくださっている皆さんに対しても大変申し訳なく思っている。
ここで、お詫びして、「マニフェスト」という言葉自体は取り下げさせていただきたいと思う。

ただ記事として書くことには責任を持ち、
また真剣に考えた結果を書き記していくという気持ちには変わりがないつもりである。

言い訳はその位にして、まず、先ほどの質問、「なぜ原発反対が真っ先に来るか」
ということに関して。

それは、私がこのブログでしたかったことは何か、という問題にかかわってくる。
何度も、色々な記事や、コメント欄などで書いているが、
私は、自分の人生を、もう整理期に入った、と根本的に考えている。
だから20年働いてきた塾も辞めた。
さてそこで私が、このブログで何をしたかったか、というと、自分の子供も含めた
若い人々に、「人生を大切にしなさいよ。」ということを伝えたい、ただそれだけなのである。

人がこの世に生を受け、「あなた」という人として今ここにある、ということは、
本当に奇跡のようなものだと、私はいつも思うのだ。

ところが、今、ごく簡単にその命を絶ってしまう人がいる。
命を絶たないまでも、生きることに意欲をなくし、明日をさえ思い描けない人がたくさんいる。
また、生きたくても、極端な貧困のために明日を生きることがままならない人々もいる。
私はそれに強い怒りと悲しみを抱く。
そうして、何か、自分に出来ることはないのか、といつも考えるのだ。

そこで私がやってみようと思ったのが、ブログを通じて、語りかける、ということだった。
「人の人生は重いよ。だから、大切に大切に生きて。」
ということを伝えたいと思った。
自分を大切に思えば、自然、他の命に対しても想いが広がると思う。
他の命、というのは、何も、同じ国の人の命だけに限らない。
また、同時代の人間だけに限らない。
遠い国の人、遠い将来の人類。そうして、人間だけでなく、
この地球上の動植物や、海、山、空といった自然そのものにも
想いは広がっていく。
これが私の基本的なスタンスであり、それを「遠い視線」などという言葉で表して、
これまでも何回も記事にしてきたつもりである。

私が思い出話を書き、また社会の変化に対して嘆きの文を連ねるのは、
自分の自己満足のため、ということも勿論あるかもしれないが、
「ああ、この人、長い人生を歩いてきたんだんなあ。そして、まだ、何か、
頑張って言おうとしているよ。」と、もし、若い方に思っていただければ、
それで少しは、人が生きていくということは面白く、
人生は長くて変化に富んだもの、生きるに十分値するもの
ということを感じ取っていただけるのではないか、と思うからなのである。
いや、そう願うからなのである。

思いあがり、と言われてしまうかもしれない。
が、私は、年寄りの最後の役目というのは、「語って聞かせること」なのでは
ないかと思っている。
人の命は一回こっきりだが、命は連綿として続く。
そのことの大事さ、愛しさを、若い人々に語って聞かせることなのではないかと
思っている。
これが、私のブログの最初からの大きなテーマであると言ってもいい。
別に思い出話を繰り言のように一人ごちていたいわけではないのである。
私の人生そのものは、さっきも言ったとおり、もう収束期に入っているので、
いつ終わりが来てもいいと思って日々をありがたく生きさせてもらっている。
もう私は、十分楽しく、自分の人生を生きてきたと思う。
もうこれ以上、あまり欲もない。
だから、ブログも最小限の機能で抑えている。

そんな風に考える私が、なぜ、原発に反対するか、というと、
原発というものに、本能的な恐怖と嫌悪を感じるからである。
それはもう、生きている牛に、死んだ牛の肉や骨を粉にして
肥料として与える。その結果、狂牛病という、人類がこれまで経験しなかった
奇病を、この世界にもたらしてしまった。
それに感じるのと同じ性質の、本能的な恐怖と嫌悪である。
また、羊や牛のほんのわずかな細胞から、クローン羊やクローン牛を作り出す。
いつかは、人間そのもののクローンを、人はつくるかもしれない。
そういう行為に対する、本能的な違和感と嫌悪と同質の感情なのである。

先の記事から、自分で資料などを明示せず、ただ自分で調べてください読んでください、
と、皆さんに丸投げするのは、手抜き、という反省をし、あれから何冊か、
原発関連の本を読んできた。今も読んでいる。

いろいろ調べた結果、数値、ということだけからみると、私の恐怖は無知の
もたらしたところも多かったのかな、という気もするようになった。
しかし、それでも相変わらず、違和感と嫌悪の気持は変わらない。
これは、なんと笑われようとどうしようもない、私の人間としての
本能なのである。

こんなものを、人間は際限もなく作り続けていくのか。
いったん暴発したら、今そこに生きている人々だけでなく、
大気の流れに乗って遠い他の地、他の国にまで、途方もない害を及ぼすもの。
そうして、今生きる我々だけにでなく、後々の世代の人々にまで、
その災いを残してしまうもの。そんなものを我々は作り続けていくのか。

それを、もう自分自身の余生がそう長くないからといって、
口をつぐんで、放っておいていいのだろうか。

そう思って、何回も記事にしているわけなのだ。

では、具体論に移り、原発について真剣に考えてみよう。

No.117 / 思うこと / Comment*0 / TB*0 // PageTop▲

2009.06.21  「私の好きな漫画 ⑤」 <<03:19


渋ーい漫画をご紹介します。
小林木造さんという方の、「俳句力」。
小林さんは、東京荻窪の、古い木造モルタルアパートに住む、
自称(他称?)、自然観察漫画家。
だから名前が「木造」。(笑)
20歳で「少年ジャンプ」デビュー。
でも、作品は本当に少ないです。
私がこの方を知ったのは、やはり朝日新聞の書籍紹介欄で。
2002年、「NHK俳壇」テキストに描くことに決まったのを機に、
俳句を始められ、それを「俳句一年生」、という漫画にしたてて、
連載開始。
私はその単行本化されたものの書評を読んで、この作家さんの存在を
知りました。
彼は、小説宝石で「東京地方区フィールドノート」というのを2001年から
連載。これと合わせて、「俳句力」という一冊の本になったわけです。
サブタイトルが、「~ゆっくり生きる~」であることが示す通り、
東京荻窪の彼の古い木造アパート周辺の、雑草や虫、鳥、トカゲやカエルなど、
意外なことにまだ、そうした街中の路地などにひっそりと今も生きている
生物たちの様子を、低い目線で描いてらっしゃいます。
そして、初めて句会に参加した日の緊張や、初めての吟行など、
俳句をひねり出すことの大変さや、楽しさを、
まるで少年のような初々しい気持ちで表わされています。

物語などない。本当に地味といえば地味な漫画です。
でも、おそらくお人柄そのままに、世の流れに乗らず自分の生き方を貫く、
それも声高にではなく、はにかみながらなんだか申し訳なさそうに
生きていく、その温かさの十分に感じられる不思議な漫画です。
一般書店では、もうなかなか手に入りにくいかもしれません。
次作が出ることを期待して待っていますが。
絵は本当に見やすく、巧いです。実力のある方だと思います。


絵柄が好きといえば、私にとってはこの方も欠かせません。

高野文子さん。
もうこの方は、知る人ぞ知る、コミック界のニューウェーブの旗手として、
大友克洋などと並び称され、後の漫画家達にも影響を与えた方です。
この方も、寡作です。
どうも私は、寡作な人ばかり好きになるようで、たくさん作品を読みたいのに、
絶対的に数が少ない、というのが悲しいところ。

代表作には、「絶対安全剃刀」、「田辺のつる」、「るきさん」、「黄色い本」
などがあります。
私は、「ラッキー嬢ちゃんの新しい仕事」、「るきさん」、「おともだち」、「黄色い本」
を持っています。
中でも私が好きなのは、「るきさん」。
前回挙げた、「とりぱん」のとりのなん子さんは、相当な読書家のようで、
漫画の中でよく本を読んでいらっしゃるシーンが出てきます。
私の好きな本が偶然ですがたびたび登場するので、それも嬉しいことの一つなんです。
この、「るきさん」も、彼女が漫画の中で読んでいるシーンがあります。

高野文子さん。
少女にしかわからないような潔癖性や独特の生活感が好きですし、
またとにかくその絵柄のシンプルで美しいことに魅かれますが、
それ以上に、この人の漫画の中にふと感じる、無常観といいますか、
達観といいますか、「明るいあきらめ」といったような感覚が
好きなように思います。

さて、最後は、私が、というよりもともとは亭主の本だったのですが、
若い頃から大切に持ち続けている外国の漫画をご紹介。
漫画、というより絵本、でしょうか。

レイモン・ペイネの“L'Amour”。
英語版のペーパーバックです。
日本語に翻訳されて売り出されている時は、「ふたりのポケットブック」とか
「ペイネの恋人たち」とかいうタイトルで出されているようで、
色刷りの図版などもありますが、
私はペーパーバックの、白黒の、
シンプルな線描だけによる本が一番いいと思っています。

私の本はもう表紙も取れて、裏表紙がかろうじてくっついているだけ。
この本に若き日に出会ってから、40年以上の月日が経ちます。
若い恋人たちの愛の本ですが、レイモン・ペイネ氏は、大戦中、レジスタンス運動に
加わっていた、というだけに、ただ、恋人たちの甘い恋の語らいを描くという
それだけではなく、そこに一抹の「愛の不条理」、とでもいうべき、
残酷さのテイストが、ほんのほんのちょっぴり加わっているのが魅力的だと思います。
絵を見れば、「ああ!」と思いになる方は多いでしょう。

さて、「私の好きな漫画」シリーズ、第一弾はひとまずこれで終わりにします。
まだ、ここに挙げていない作品がたくさんあります。
それらはまたいずれ。

「私の」本棚をご紹介。
廊下に追い出されています(笑)。
奥に、作りかけの服を着せた、洋裁用のボディがちらっと見えます。
2009_0616_133858-CIMG0438_convert_20090621021926.jpg

こちらは「亭主の」書斎の本棚。天井まで作りつけになっています。
2009_0616_134906-CIMG0446_convert_20090621022459.jpg
前はここにあふれるほど本が詰まって、床にまで積みあげていましたが、
床が抜けるといけないということで、古本屋さんにきてもらって
大量に処分してしまいました。
だから今はだいぶすかすか。

私の本棚の上にあるこれは。
2009_0616_134527-CIMG0442_convert_20090621024034.jpg
昔。今から30年以上前、幼い娘のために、主人と私が作った木のおもちゃです。
人形の家を作った残りの端材を、主人が削り出し、私が色を塗った
極々素朴なおもちゃ。
当時テレビで、アニメの「フランダースの犬」をやっていたので、
風車風の家もあります。風車はもう取れてしまっています。

ああ。私たちにも、希望と理想に燃えた、若き父親と母親だったときがありました!
あの、小さかった娘は、今どこに?大きな娘になりました(笑)。

彼女が小さい頃愛していた大型の絵本などは、
他の部屋の本棚にも、この私の廊下の本棚にも入りきれないので、
仕方がないので、可哀そうだけど、押し入れの中に入れたままです。
いつかまた、「私の好きな絵本」シリーズでもやって、陽の目を見せて
やりましょうか(笑)。
  

No.116 / 文化論 / Comment*4 / TB*0 // PageTop▲

2009.06.18  「私の好きな漫画 ④ 」 <<12:47


少し、最近の漫画を挙げてみましょう。

ここ数年の本との出会いで、私がこの作家さんを知ってよかった、
と思える方の中に、「とりぱん」のとりのなん子さんがいらっしゃいます。。
2009_0616_235833-CIMG0453_convert_20090617234532.jpg
私はこの本を、’06年4月9日付、朝日新聞朝刊の書評欄で知りました。
筆者は南信長氏。最初はその書評に惹かれたのです。
一部引用します。

  「・・・・PTAや子供会の健全な出店によって締め出されたテキヤの屋台や
  合成着色料満載の安物アイスへの愛を語る一方で、屋根の上を
  歩き回る鳥の足音、空を流れる雲、うなだれるヒマワリに季節の移ろいを
  感じ取る。・・・・・」
  「・・・・シンプルながらキュートな絵柄と、擬音のセンスは一級品。
  ユーモアと詩情と少しばかりの毒を含んだ芳醇な味わいは、
  この春一番の収穫である。」

ね、すてきな書評でしょう?
私は毎週日曜日、朝日新聞のこの書評欄をゆっくり時間をかけて読むのが
とても楽しみなのですが、これを読んだら、すぐにその、とりのなん子さんという
変わった名前の作家さんの、この本を読みたくなってしまいました。

「ユーモアと詩情と少しばかりの毒を含んだ芳醇な味わい」
なんて書かれたら、もう読まないわけにはいきません。

書評の言うとおりでした!いや、期待した以上だったかもしれません。
とりのなん子」(←なんのとり?)というペンネームからわかるとおり、
まあ簡単にいえば、自宅の庭に来る野鳥の観察漫画です。
筆者は、東北に住む、30代半ばの独身女性。
しかしこれは、単なる餌付けや鳥の生態を描いた自然観察漫画ではないのです。
ここには鳥以外にも、かまきり、蜘蛛、蛾などの虫たちも登場します。
様々な花や実、など、植物ネタもあります。家族、友人などの人間ネタも。

女性漫画家たちのアシスタントもやっていたという筆者。
ギャグセンスはなかなかのもので、ギャグ漫画としても面白い。
けれども、私が惹かれたのは、その、自然観というか、自然に対する
彼女独特の哲学のようなものに、でした。

4ページで一羽(一話)完結の、ごく短い話ですが、
そこに書かれている短い文章がいいのです。
もうこれは、漫画というよりは、全体が一編の「詩」です。
とりわけ、4ページめの大きなコマ割りのページには彼女の自然観が
よく表されています。
例えば私の好きなページは、第16羽(話)。
漫画をそのまま転載するわけにもいかないので、そこのところの
文章だけを引用してみましょう。

  「ヒグラシは明け方にも鳴く   
夕方ほど長くない
  小さな波のように鳴く       けき.....  

  つられて鳥も鳴きはじめ―‐    けきききききき
                        ききき   ちち
                                 ち.....

けきききききき
                  けきききききききき      ちゅんちゅん
                         けききききききききき
  空気のすきまが埋まっていく


  すでに密度の高い夏の朝だ」 
  



というページがあります。こんなことではとてもその魅力を再現できませんが、
夏の明け方、まだ薄暗い空に家々の暗いシルエットが浮かぶ中、
はじめに、ヒグラシが一声、けき!と鳴きます。
そうして、それにつられるように、雀などが目を覚まし、声をあげます。
空がだんだん明るくなるにつれて、
ヒグラシの声、鳥たちの鳴き声が空を満たしてゆき、
最後の
「すでに密度の高い夏の朝だ」
というところでは、黒く見えるほどの深い夏の青空に
入道雲がむくむくと湧き起こり、雲の隙間の青い空を、
けききき、けききききききき.....というヒグラシの声が埋め尽くしていく・・・・

そんな図柄です。
南信長氏が、「擬音のセンスは一級品」と書かれたのも、むべなるかな。
全編に、こういう彼女独特の感覚が生きているのです。

また、こんなのもあります。第159羽。

  「深夜にかそけき音がする       ぺり......
  
  極薄の和紙をはがすような               ぺりっ   ぴりり......
  ミクロン単位の繊維が一本ずつ切れていくような      ぴ   り 

  ユリのつぼみの
  つなぎ目が
  ほつれていく音

  でも 気づかないふりをする

  じっと見つめるのは
  失礼な気がするから」

  
人も皆、寝静まった深夜。
なん子さんは一人、電気スタンドの明かりで本を読んでいます。
ふと、背後の暗い部屋の隅で、かすかな音がする。「ぺり......」
それは花瓶に挿した大きな百合の花の蕾がほぐれる音なのです。
でも、彼女は振り向かない。
背中で、百合の花の気配を感じ取っているだけ。
そこには、もの言わぬ植物ながら、同じ尊い生命をもつものへの、
深い共感の念が描き出されています。

百合は鉄砲百合でしょうか、カサブランカでしょうか。
百合は、深夜、あたりが寝静まって静かになると、ひときわ匂いを強める。
その気品ある香りが漂ってくるような、ページ、なのです。

彼女は講談社の大17回MANGA OPEN大賞を「とりぱん」で獲り、
漫画家デビュー。「モーニング」誌で、「とりぱん」連載中です。
単行本が講談社から第7巻まで出ています。

私は、この「とりぱん」が載っているがために、
塾にまだ勤めていた頃、毎週木曜日、「モーニング」誌を欠かさず買っていました。
テスト原稿や書類などの詰まった大きなカバンの中に、
駅の売店で買った「モーニング」誌を入れ、電車の中でそこだけ
そっと覗いて読みます。
他の漫画は乗客の姿もまばらになった帰りの電車の中で(笑)。

今はもう「モーニング」は買っていません。
年2回、「とりぱん」の単行本が出るのを楽しみに待っています。
私の「心の贅沢」ともいえる本です。
どこから読んでもいいのですが、私はやはり、単行本の一巻、二巻辺りが
好きです。
第二巻にある、カマキリのかまさんなどの虫ネタが特に好き。
自分で言うのも変ですが、
さすがに、蝶を抱いて寝たこともある人だけのことはあります(笑)。

私の関連ブログ記事。「蝶を抱く」。
 http://summerhighlands.blog121.fc2.com/blog-entry-43.html

No.115 / 文化論 / Comment*10 / TB*0 // PageTop▲

2009.06.17  「私の好きな漫画 ③」 <<02:35


さて、私が最も魅かれる漫画家さんは誰か、というと、
先回そうは書いたものの、どの方が一番好きか、なんてとても決められません。
なあんだい!

でも、その中のお一人に必ず入ると思われる方が、この方です。
2009_0614_002606-CIMG0432_convert_20090616011223.jpg
杉浦日向子さん。
悲しくも、4年前、46歳という若さで、お亡くなりになってしまわれました。
1984年、この「合葬」で、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
江戸文化に強く魅かれ、稲垣史生氏に師事して時代考証を学び、
そののちも自分で研鑽を積んで、江戸を題材に、独自の漫画世界を
切り開かれました。
しかし、漫画家としての仕事は1993年にやめて、「隠居」を名乗り、
その後は江戸文化研究家として、エッセイや講演などのお仕事を
なさっていました。
NHK の「お江戸でござる」で、その着物姿をご覧になった方も多いでしょう。

この「合葬」は、幕末、彰義隊を題材として、三人の若き青年武士たちが、
動乱の世に必死に生きていこうとするけれども、ついに時代の大波に
呑まれてしまう、という悲劇を描いています。

杉浦さんは、今の大東京のビル群の向こうに、江戸の面影を見る人でした。
江戸、明治、大正、昭和、そして現在。
人は懸命にその時代時代を生きています。
しかし、そんな、ひとの思惑など、否応なしに移りゆく時代の流れの中では、
取るに足りないちっぽけなもの。ひと一人の懸命な生も、あっという間に忘れ去られ
時だけが過ぎてゆく。
そんな悲しみが、この作品にも、そしてどの杉浦作品にも、色濃く出ています。

まるで、日向子さんご自身が、自分の短い生を予感してでもいらしたかのように。

杉浦さんはそういう風に途中で漫画家としては筆を断たれたので、
作品はそう多くありません。
まだお若いのに隠居宣言などなさって、私などは彼女の世界が見られなくなったのを惜しみ、
いつかきっと、また漫画に戻ってくださるものと、ひそかな期待を抱いていたものです。
しかし、隠居宣言なさったのも、実は血液系の病を抱えていらっしゃったからだ、ということは
そのお亡くなりになった後になって知らされたことでした。

そんな彼女の数少ない作品の中で、一冊どうしても決めなければならないとすれば、
私は、そうですねえ。この作品を取ります。
2009_0616_230441-CIMG0450_convert_20090617222404.jpg

「百物語」です。

百物語、というのは実は江戸の頃にもあった庶民の間の趣向で、
人が一話一話、世にいう不思議な話を持ち寄って、順繰りに語っていく。
九十八、九十九話、と進み、百話めを誰かが語り終えた瞬間に、
その場にいた人に禍々しい災難がふりかかる、というのです。

江戸の戯作や庶民の間の言い伝えなどに深い知識を持っておられた
日向子さんは、たくさん集めたそうした怪奇談の中から、
よりぬきの話を集めて、それを日向子流にアレンジし、
九十九話の寂しくも恐ろしい、魅力ある本に仕立て上げています。
最後の一話はわざと語らないようにするのです。

一話一話、日向子さんはその話に合わせて、画法を変えて描いていらっしゃいます。
間を生かした、一枚一枚の絵は、浮世絵の空間を思わせます。
人っ子一人通らぬ暗い夜道で出会った魔のもの。
雨の日の武家屋敷の道で、蹲っているわけのわからぬもの。
あっという間に消えていく幼い命のはかなさ・・・・。

街灯などというもののない江戸の夜は当たり前のようにまったくの闇です。
不思議とそんな中でも、川と、道は白く浮き上がって見えるのです。
そこを一人とぼとぼ歩いていく・・・・。

子供は本当にあっけなく、死んでしまいます。
大人もかき消すようにこの世から消えていきます。
でも、ときには想いがこの世に残り、残してきた者たちの周りをうろつきます。

夜も煌々と明かりがともり、人の死も、綺麗に演出されて
逆に見えにくくなってしまっている現代。
こういった世界はすっかり、忘れ去られてしまいました。

しかし、この現代の、賑やかで明るい夜にも、
ふっと、日向子さんが描いたような江戸の夜の面影が見えてくることがあります。

「沈丁花の散歩道」でご紹介した河原を、たそがれ時を過ぎてから
歩くことがあります。
あたりはすっかり夕闇に包まれ、わずかに遠くの山の稜線のあたりだけに
太陽の明るみが消え残っています。
橋の上から川面を見下ろすと、暗い川床に、水の流れだけが
ぼおっと白く浮き上がって見える。
「ああ、日向子さんの風景だな!」と思います。
西の空にわずかに消え残る明るみと山の稜線の色は、浮世絵そのものです。

そんなとき、私も、日向子さんがよくおっしゃったように、
「江戸は、今とつながっているんだな。」と思います。
夕暮れの空の色も、人々のささやかな生の営みも
変わったようでいて、ちっとも変っちゃいない。
そう思うと、なんだか少しほっとします。

さて、「百物語」に負けず劣らず私の愛する作品がもう一つあります。
2009_0614_002709-CIMG0434_convert_20090617014605.jpg
「百日紅」。
さるすべり。「散れば咲き散れば咲きして百日紅」という、
加賀千代女の俳句からタイトルをとっています。
これは葛飾北斎と、その娘で、やはり浮世絵師として生きたお栄。
そうして彼らの周りのライバル浮世絵師たちや版元。武家、町人など、
江戸の人々の暮らしを、浮世絵師の世界を中心に据えて、
いきいきと描きだしています。

私はもう、このさっぱりとした気性のお栄さんが好きで好きで。
実際どんな人だったんだろう、と、遠い過去の人ながら、
なぜか、不思議な懐かしさを感じます。
でも、現実には会えっこない人を想うせつなさで、
いつも読み返すとそのあとで、悲しみにとらわれてしまうのです。

浮世絵と言えば、杉浦日向子さんには、明治の絵師、小林清親と
その弟子の井上安治を描いた、「YASUJI 東京」という作品もあり、
これも私が愛してやまない作品です。

No.114 / 文化論 / Comment*4 / TB*0 // PageTop▲

2009.06.15  「私の好きな漫画 ②」 <<00:52


小学校5,6年生くらいの時が私にとっての第一次漫画ブームだとすれば、
第二次漫画ブームは、私が大学生くらいの頃。

今では大人が漫画を読むのも当たり前の時代ですが、その頃は、
「大学生が漫画を読むとは!」と顰蹙の目で見られる時代でした。
それでも構わず、堂々と漫画を読み、劇画を語ったのは、
私たち団塊世代がその初めだったかもしれません。

当時の大学生のステータス・シンボルのように思われていた雑誌は、
「朝日ジャーナル」と「ガロ」です。
硬派のインテリを気どる人は、「朝日ジャーナル」を人に見えるように持ち歩いていましたが、
雀荘に入り浸って煙草をふかしたり学生運動したりする連中のバイブルは
この「ガロ」という漫画雑誌でした。

私はどちらかというと後者の口で、「ガロ」はよく読みました。
ガロ」といえば、白土三平さん。みなさん、ご存じでしょうか。
「カムイ伝」で有名です。
2009_0614_002420-CIMG0430_convert_20090615000733.jpg

この「カムイ伝」は、私が大学生の頃から、何と「ビッグコミック」などで2000年まで、
断続的に連載されて、まだ完結していないというんですから、ものすごい息の長い
作品です。
抜け忍と農民と、武士の世界が重層的に描かれています。

その悲哀と権力への抵抗の志が、当時の学生運動華やかなりし頃の
大学生たちの心情を象徴しているかのように思われ、愛読されました。
その最初の頃の絵を担当していたのが、
前回の記事で触れた、小島剛夕さんです。

私が当時「ガロ」の中でも好きだったのは、やはり、つげ義春さんです。
「ねじ式」「赤い花」「無能の人」など、もうこの方については語る必要はないでしょう。

ガロ」は幾多の経営危機や内紛などがありつつも、1964年から2002年まで
何とか続いていました。
私が読んでいたのはそのごく初期のころということになります。

「ガロ」からは多くの漫画家が世に出て後に大変いい仕事をしました。
つげ義春、水木しげる、永島慎二、佐々木マキ(つげ氏夫人)、勝又進、
林静一、池上遼一、やまだ紫。
後の方の作家では、
内田春菊、蛭子能収、みうらじゅん、あがた森魚、赤瀬川原平、安西水丸、
久住昌之、糸井重里、小林よしのり、しりあがり寿・・・・・、
凄いメンバーが執筆しています。
あ、あと、先日、「劇画漂流」で、手塚治虫文化賞大賞をとられた辰巳ヨシヒロさんも
執筆陣の一人です。

さて、ここからが今回の記事のメイン。(えっ、また?これからなの?)

私が後年、好きになった作家さんのうち、「ガロ」の執筆陣で、
上に名を挙げなかったお二人を紹介します。

まずは滝田ゆうさん。

文士に、太宰治や坂口安吾など、「無頼派」とよばれる作家たちがいますが、
漫画界の無頼派、と言えば、さしずめこの、滝田ゆうさんでしょうか。
新宿あたりで編集者などと酒を飲んで、次の店へ行き、そこで知り合った人と
また別の店へ行き、ときにはなじみの店に居続け。
家に帰っても、夕暮れになると酒場のネオンが恋しくてたまらなくなり、
ふらふらまた、出かける。
とにかく酒びたりの滝田さんを、編集者たちは時にはホテルに缶詰め状態にし、
時には絵が出来上がるまで、滝田さんの仕事場にとまりこんで貼りつきの番をし、
といった、とんでもない生活が、「泥鰌庵閑話」という漫画の中に
克明に描かれています。

でも私が何より好きなのは、「寺島町奇譚」。
2009_0614_002749-CIMG0435_convert_20090617223127.jpg

滝田さんが育った、かつての玉の井遊郭界隈の日常が、
滝田さん自身を指すと思われる少年キヨシの眼で描かれています。
どぶの臭いのする狭くて入り組んだ遊郭の,小さな部屋で、男たちを待つ女。
戦争に突入した時代の不安と焦りを、束の間、女の胸に忘れようとする男。
そんな女と男の愛欲の日常を、小さな飲み屋の子として、毎日見ながら、
それでもけなげに成長していく少年キヨシ。

それが、独特の揺らぎを思わせる線描で、細かく細かく描き込まれています。

私は「寺島町奇譚」全編を収めている、ちくま文庫版を持っていて、
何度読み返したかしれません。
ここに出てくる「タマ」という猫が、もう・・・・!



さて、私が「ガロ」の執筆者で後年大好きになった二人の作家の
その二人目は、誰か、というと。

私が最も好きな漫画家さんと言っていい方ですので、
とても長くなってしまいそうです。
次回あらためてゆっくり書かせていただくことにしましょう。 


No.113 / 文化論 / Comment*14 / TB*0 // PageTop▲

2009.06.13  「私の愛する漫画たち」 <<02:22


原発論議が盛り上がって、ふ~~!、疲れました(笑)
賛成、反対どちらの立場でも、真剣にコメントくださった皆さん、
そして、黙って色々考えていてくださったであろう皆さんに
お礼申し上げます。
「読んでください」と丸投げするのではなく、ちゃんとした情報としての記事を
書きたいと、今しきりに勉強し直していますので、時間をしばらくくださいませ。



さて、少し気分を変えて、以前、いつか書くとお約束した、漫画論でも。
これもおそらくシリーズになると思います。
沈丁花。歳に似合わず、漫画大好き人間です。
家の本棚には漫画がたくさん。
しかし何でもいいというわけではなく、世代相応に、好みはある程度限定されています。
まず、絵が巧くて見やすいこと。老眼も進んでますから(笑)。

私の漫画体験は、今から、55年ほど前から始まります。
半世紀以上も前。(おお!)
最初に記憶に残る漫画家は、杉浦茂[1908~2000]という人です。
この方の「猿飛佐助」という漫画の文庫本を持っていたはずなんですが、
どうしても見つからず。絵柄をご覧になれば、若い方でも、あぁ!と、
お思いになるかもしれません。
そんな昔の人なのに、もうそのギャグセンスやシュールさはぶっ飛んでいて、
「コロッケ五円のすけ」などという、キャラ名や、
「とと?」(驚いた声)「これ なんじゃらほい」「タハー! チャハー!」「えい めんどうなり」
などといった独特のセリフ回しなどが、もうおかしくておかしくて、大好きでした。
登場人物のいきいきした、いたずらっぽい表情や、おかしな手つきなども好きでした。
小学校一年生ごろ、次の月の雑誌が来るのを待ちかねて読んだのを覚えています。
「温泉街の家」の頃です。

漫画家の赤塚富士夫さんの「レレレのおじさん」はここからきたとか、
ミュージシャンで元YMOの、細野晴臣さんが、子供の頃、杉浦茂さんの漫画が
大好きで、その登場人物の真似をしまくっていた、などと聞くと、
およその同世代人としては、とってもよくイメージがわかるのです。

あとはやっぱり、手塚治虫さんの「リボンの騎士」かな。
毎日のように、真似して絵を描いてましたね~。
読者の欄に似顔絵を投稿したこともあります。採用されませんでしたが(笑)。

少女マンガ雑誌は、当時、「少女ブック」「少女クラブ」「りぼん」「なかよし」
などたくさん月刊の形で出ていて友達と回し読みしました。

高橋真琴さん。バレーマンガの草分け的存在で、
最近、乙女チック愛好少女の間では結構また復権をしているようです。
真ん丸な黒目がちの眼に、星がいくつも。
羽根飾りとダイアモンドのきらめくティアラ。美しいバレエ衣装。トウシューズのポーズ姿などに
随分憧れて、ほんの数か月、バレエを習わせてもらったこともあります。
虚弱ですぐやめましたが。
この人の絵も、随分真似して描きました。 

水野英子、牧美也子などという漫画家さん達も好きでした。
牧美也子さん。松本零二氏夫人。

こう言った人々の絵の美しさや、その描いている世界への遠い憧れが
私の性格の一部を形成していると言っていいかもしれません。
絵を描くのが好きになったのも、このあたりから始まっています。

さて、私の漫画読書体験で欠かす事が出来ないのが、前にもちょっと書いた、
「貸本屋」というシステム。
今と違って雑誌は月に一度の発行を待つしかありません。そこで貸本屋。
と言っても、私がごく幼い頃にはまだそういうものは記憶になく、
よく行くようになったのは、小学校5年生くらいから。昭和50年代末期です。

間口はせいぜい2間かそこらの小さな古ぼけた店の、
三方の壁の本棚に、貸し本がぎっしり詰まっています。
床は大抵土間か板張りで、子供達が腰かけて読めるように、
上がりがまちのような段差があります。
店主は大抵お爺さんかお婆さん。店の奥の番台のようなところで
眼を光らせています。
大人のための講談本なども勿論ありました。

当時の漫画の単行本は200円~300円だったでしょうか。
私の母が、人さまの浴衣をどんなに手早く縫っても一日一枚が限度。
一枚縫って500円位得ていたように思いますので、
うちにとっては大変なお金です。とても本など買えません。
だから1泊2日、一冊10円の貸本屋にはよくいきました。
と言っても自分の小遣いでは一冊しか借りられないので、
これも友達と行って、みんなの借りたのを回し読みです。

まりちゃんという、一杯飲み屋の娘がいて、その子はふんだんに小遣いを
与えられていました。みんなの人気者でした。気前良く借りて皆に見せてくれた。
貸本屋の店先であっという間に読みきって次のを借りることもあれば、
とりあえず持ち帰って、誰かの家で皆で黙って読むこともあります。
まあ、今の子供たちが皆でいながら黙々とゲームをするのに似ていたでしょうか。
なんとなく満ち足りた時間が過ぎていきました。

何を読んでいたか、他の本はほとんど忘れてしまっていますが、
中で忘れられない作家さんが二人。

水木しげるさんと小島剛夕さんです。
水木さんの中で私が特に好きだったのが、「墓場鬼太郎」。
「ゲゲゲの鬼太郎」ではありません。
その最初の巻の、鬼太郎が生まれる墓場のシーンは、
子供心に、怖さと喜びで、「うきゃ-っ!」とでも叫びたい気分。
私はホラーものは今でも苦手なので、あまり見ませんが、
この漫画だけは特別。何かそこに、悲しみを感じていました。
人の世のはかなさというようなもの。

それよりさらに好きな水木作品は、「河童の三平」です。
特に、登場してくる狸の子が好きだった。セリフの可愛さにも魅かれました。
今でも水木作品はかなり本棚にあります。
短編で、私が「これは秀逸!」と思うのは、「丸い輪の世界」。泣けます。

もう一人強烈に心に残っているのは、小島剛夕さん。「ごうせき」と読みます。
これを書くに際し、検索で調べてみると、私が子供時代に読んだと思っていた作品は、
どうも私の勘違いで、もっと後年、私が二十才前後の頃に読んだもののようです。
とにかく、絵がうまいなあ、と舌を巻きます。
若い方は、ぎりぎり、あの「子連れ狼」の絵を描いた人、といえばお分かりいただけるでしょうか。
武士道残酷物語や忍びの世界などを、描いた人です。
とにかくその人物の顔が綺麗で、若い私は憧れました。

貸本屋文化は、私が大学の頃まではかろうじて残っていました。
大学くらいになっても、貸本屋にはお世話になっていました。
かの伝説の雑誌「ガロ」なども借りて読みました。
「ガロ」については、また別に書きます。

貸本屋の本を長いこと返し忘れて、料金がかさんでいくという悪夢を
ごく最近まで見ていました(笑)。
よほど、頭のどこかに貸本文化が記憶としてしみついていると見えます。


さて、ここまでは前置き。えっ!(笑)
ここからが、私の愛する漫画家たちの世界です。
前述、水木しげる先生も勿論入りますが。

この、小島剛夕さんの画風が好きだった私が、大人になって出会った
ある女性作家さんがいます。といっても、本の上で、ですが。
一ノ関圭さん(1950-  )。女性のかたです。
東京芸術大学油画科大学院在学中に、ビッグコミック賞を受賞。
これは大変難関な賞だったそうで、全18回中、
受賞者は一ノ関さんを含む2名だけだったとか。
とにかくその絵の巧さ。
そして、そのストーリーに漂う、生きていくことのそこはかとない哀しみ。
もう私はぞっこんの作家さんですが、いかんせん、大変に寡作な方で、
その名前も、今では通の人しかご存じないかも知れません。

私はたまたま、'92年に小学館叢書フェアというのをやっていた時、
新聞の紹介か何かで、その絵に魅かれ、出会うことができました。
私が持っているのは2冊。そこに彼女の作品のほとんどが収録されて
いますから、いかに寡作かわかると思います。
まずは、「ランプの下」
2009_0612_000428-CIMG0417_convert_20090612234902.jpg
舞台は明治時代。
貧しい画学生、柘植は、友人青木の才能に嫉妬し、
また愛する女すなおが、かつて青木の恋人であったという、二重の嫉妬に
苦しみながら、今日も絵を描いている・・・・・

とにかく絵がずば抜けてうまくて綺麗です。
とりわけ、芸大で鍛えられたデッサン力を生かした、女性の裸体の
描写はほれぼれします。
コミックパークで試し読みができます。
ぜひちょっと覗いてその一端をご覧ください。
http://www.comicpark.net/readcomic/index.asp?content_id=COMC_ASG00203_001



2冊目は「茶箱広重」

2009_0612_002641-CIMG0425_convert_20090613004530.jpg

一度は二代目一立斎広重の名を相続しながら、三代目にその名を奪われ、
表舞台から姿を消して、「茶箱絵」すなわち、江戸末期、横浜から海外に向けて
輸出されるお茶の箱に貼りつける錦絵を描いて糊口をしのいでいたことから、
俗に「茶箱広重」と呼ばれる絵師の生涯を描く。
この作品もコミックパークで試し読みすることができます。
http://www.comicpark.net/readcomic/index.asp?content_id=COMC_ASG00204_001

私の好きな作家さんは概して寡作。
丁寧に描かれるので遅くもなるのでしょうが、作品が少ないだけに、
まるで、宝石でも覗くかのように、私はそれらの数少ない作品群を
大切に味わっています。

No.110 / 文化論 / Comment*9 / TB*0 // PageTop▲

2009.06.07  「原子力発電に反対」  私のマニフェスト⑦ <<16:57


さて、総論ばかり言っててもしようがないので、各論に入ります。
これからは短くいきます。本当かな?(笑)

ブログ始めてからずっと、ちょくちょく書いていますが、私原子力発電には反対です。
先回の記事でも書きましたが、原子力発電というものは、その経済的、エネルギー的
効果に比して、危険が大きすぎると思うからです。
ひとたび、チェルノブイリ級、とはいかなくてもあれに類する事故が起きてしまったら、
日本の大半は人の住めない地になってしまいます。

私には皆さんを説得できるような科学的知識がありません。
原発問題について深く考えていらっしゃる方のブログをご紹介します。
マサキさんの「シエスタ~夢の途中で~」の中の記事、
プルサーマルの大惨事が起こる前に
また、次のかたの記事を合わせてお読みください。
林信夫さん「設計者からの諫言『浜岡原発は制御不能になる』」
http://www.news.janjan.jp/area/0504/0504145797/1.php
この方は、もうすぐ、プルサーマル発電を始めようとしている、
静岡県浜岡原発の設計に携わった方です。
その方が。浜岡原発の危うさを訴えていらっしゃるのです。

この2つのブログの記事には、原発の危険についての関連記事の紹介も
ついていますので、一度、目を通して見られてはいかがでしょうか。

石油は確かにもう、資源としての限界が近づいています。
燃料として繊維製品として、食料、生活用品、ありとあらゆるところで
私たちは石油の恩恵を受けています。
それがもうすぐ無くなる。
それに代わるものは実はないと言ってもいいほどですが、それでも私たちは何か
石油に代わるエネルギー源を大至急見つけなければならない。

原子力は石油に代わり得るのか。
この問題は私のように、非科学的にただ恐怖する、ただ怖いということで
語ってはならない問題です。
逆にまた、原発の実態を知らないで、「石油が無くなるんだからしょうがないじゃん。」
と安易に推進を許容してもならない大きな問題です。

マサキさんの記事にあるように、原発はクリーンなんかじゃない。
事故をなんとか起こさず運用して行けたとしても、数十年後に
核施設の耐用年数が来れば、核廃棄物や汚染された設備そのものを
どう始末するのか、これさえまだしっかとした方法が確立されないまま、
いわば、各国の原発は見切り発車で運転開始されたようなものなのです。
日本の原発は古い施設が多い。
古くなれば、いわゆる金属疲労というようなものもあちこちで当然起こってきます。
コンクリートも劣化します。

地震国日本。大きな地震が原発の下であるいは近くで起こったら、古くなった施設は
揺れに耐えうるのでしょうか。

ここで不安をさらに抱かせるのは、各電力会社の隠ぺい体質です。
小さな事故も隠そうとする。
多くの重大な原発事故は、ほんの些細な運転ミスや亀裂などの小さなことから
起きています。
日本の原発の現場で作業する人々の中には、原子力発電の基礎知識も持たず、
ただ、働く場を求めて、危険をあまり知らされぬままに雇われて作業している人々もいます。
大きな事故に至りそうだと認識した時に、普段の隠ぺい体質が出て、
初期の手当てが遅れてしまい、また何をしていいかわからない作業員たちがうろうろしている間に、
核分裂が進み、大溶解[メルトダウン]を起こす、などといったことにならなければいいのですが。

私の発言を、科学的知識のない老婆の、無知な煽りたてだと思われるかもしれません。
原子力発電について本当に詳しく、核の廃棄物の問題などについても確固たる
定見をもっていらっしゃる方、そうして事故など起きないと言いきれる方、
大事故が起きた時に、国民に責任を負えるとおっしゃる方の批判だったら、
喜んで受けましょう。
しかし、私程度の原発に対する知識しかなく、あるいはほとんど知らない方が、
「だーいじょうぶだよ!石油に代わるエネルギーは原子力しかんないんだから!」
とおっしゃっているだけなのだとしたら、どうしてその言に、私の命を、
そうして私の子供たちの命を預けることができましょうか。

「原発?だーいじょうぶだよ。事故なんかおこりゃしないって」という方も、
北朝鮮の核攻撃の不安には怯えます。
同じことじゃありません?
なぜ、一方を大丈夫、と言いきり、一方を恐れるのでしょうか。
チェルノブイリ原発の事故で放出した放射性物質は、広島の原子爆弾の
実に500倍だとも言われているのです。

とにかく一度自分でよくお調べください。
国民の、とりわけ施設近縁の住民の反対の声が高まれば、
原発はこれ以上作らない、危険なプルサーマル運転はしない、
原発を徐々に減らす、ということだって不可能ではありません。

そうして、石油、原子力発電に代わり得るエネルギー、それを
緊急に技術開発していく必要があると思います。

あなた自身の、そしてあなたの愛する人々のために、
一度、原発について、よく調べてみてください。お願いです。

No.107 / 思うこと / Comment*29 / TB*0 // PageTop▲

2009.06.05  「寝ている間に考えた」  私のマニフェスト⑥ <<01:35


さて、元気になったので、「私のマニフェスト」の続きです。
このテーマになると、普段は饒舌な私の筆がぴたりと止まってしまいます(笑)。
なぜ、止まってしまうか、というと、
こんなこと書いても無駄なのかなあ、という気持ちがどこかに常にあるからです。
前にも書きましたが、もう私の時代は終わってしまっています。
人々が「政治的」であった時代はもう終わってしまったのです。
(今思えば、あれが本当に政治的な時代だったのか、という疑問も残りますが、
とにかく、若者が、そして知識人が、熱く政治を語った時代がかつてあった)

時代は常に忙しく先に進んでいて、その流れに棹さそうとする者は、
人々の行き来の邪魔になり、うるさがられてしまいます。
もう、私の声は届きません。
これからのことは若い人々に任せておいて、
もう黙って、ただの気の良いおばあさんでいる方が、
私も楽だし、周囲もその方がいいと思うんじゃないのかな。

そんなことを考え始めると、ブログでもそういった政治的な発言を
することをためらうようになってしまい、記事が書けなくなってしまうのです。

全ての人がそうでしょうが、私の中にも色々な側面があります。
ブログ説明にもある通り、「懐かしい過去の思い出に浸る、穏やかな初老の女性」
という側面と、若い頃の闘争心がまだ抜けず、世の中のあれこれに物申したい
「精神の未だ老いきれない私」と、大きく言えば、その両面が沈丁花という存在の中に
あるのです。

いま、世の中には、すぐにでも解決しなければならない問題がたくさんあります。
黙って何もせずにいていいのだろうか。
でも、旧来の、ただアジテーションをするだけの方法では、今の人は関心示してくれないよなあ。
どうすればいい解決法が見つかるのだろう。

そんなことを考えているうちに、扁桃腺炎にかかってしまい、何日も寝ていました。
私にとっては、いいさぼりの理由が出来たようなものです(笑)。
で、何冊か、それまでに買っておいて読めずにいた本を次々と読んでいました。
私の疑問に答えてくれそうかな、というタイトルを掲げるような本でした。

読み終わって、この不況の、生きにくい世をどうすればいい?という私の疑問に
それらの本が答えてくれたか、というと、否、でした。

どうやら、立ち止まって考えこんでいるのは、知恵の回らぬこの私だけではなく、
本を書くような偉い人も、やはり、今の世界は捉えきれずに、頭を抱えているのだな、
ということがわかっただけでした。

例えば、三田誠広「マルクスの逆襲」(集英社新書)
タイトルが過激なので、「おおっ!、この閉塞した世界状況を打開するため 
には、もう一度マルクス主義的考えを導入せよ!という論点なのかな?」
と、意外に思って買ったのでしたが、結論は違いました。

「ともに力を合わせて生産に取り組む仲間たちとのコミュニティーの中にいることが
生きることの充実感をもたらすような社会。」
「経営者から労働者まで、すべての国民が良識をもち、共通の理念をもつということは
不可能ではない。もしそれが実現できれば、今のままの民主主義のシステムで、
国家のあり方を修正することも可能だ。」・・・こういった論点で書かれています。

「すべての国民が良識を持つこと」・・・
はああ、結論は、精神論ですかあ。

宮台真司「日本の難点」(幻冬舎新書)
日本そして世界が抱える様々な問題をわかりやすく解説してくれ、
またその解決法もある程度示唆はしてくれますが、この本でも、
最終的な結論は、「ミメーシス、すなわち感染的模倣」。
宮台氏はチェ・ゲバラの例をあげてこれを説明していますが、
「感染的模倣」とは、チェ・ゲバラのように、利己心を全く捨てた「スゴイ人」がいると、
「このスゴイ人についていきたい」
「自分もこんな風にスゴイ人になりたい」
と思う人が多く出てくる。
というように、周りの者が、合理性とは別の何か、
つまり、優れたもの、立派なものを模倣をすることが感染していく、というような、
理屈を超えたものによっていつか包摂されていき、
結果的に社会の「世直し」がされていく、ということのようです。

あれぇ、これも、精神論です。

精神論でこの困難な状況が解決できるのなら、こんな楽なことはないのですが。
結局、みんなわからなくて行き暮れているんだなあ。そう思わされました。

世界がこうあってほしい、と思うそのイメージは、誰の心にもあるのです。
しかそこへどうやって至ればいいかがわからない。

あまりにも、現実のシステムというものが、がっちり出来上がり過ぎているからです。
また、人間の利己心というものが、徹底的な改革を拒むからです。
それが何より大きいのかもしれません。

職を失くして、今路頭に迷っている人がいる。
彼らに職を与えよ。
ワークシェアリングなんかいいじゃないか。
日本人はこれまで働き過ぎだ、と海外の人からもよく言われてきた。
みんなで、職を分け合って働きすぎの人の分を、仕事のない人に回せばいい。
でも、具体的にどうやって仕事を再配分するの?
ええっ!俺の残業、無くなるの!
ちょっとちょっと、それは困るよ!うちは育ち盛りの子が二人、私学に通ってて
しかも住宅ローン組んだばかりなんだからさあ。
ワークシェアリングはいいことだと思うけど、僕の分はちょっと勘弁して。

国内だけでなく、世界的規模でも仕事や富の再配分が必要、ということは
なんとなくみんな感じてはいても、その具体的な方法を考えると、
気が遠くなりそうに前途遼遠だし、また、それが自分の懐を痛めたり、
快適な生活を放棄または縮小しなければならないとなると、
誰も、もう、動こうとはしなくなるし、そんなことは見なかった、聞かなかった、
と、口をつぐんで黙りこんでしまいます。

ところがそこへ、勇気を出して、具体的に活動し始めた人が現われたとします。
口であれこれ綺麗ごとを言うだけでなく、実際に、小さなことから活動を始める人が。

そういった状況の時、一般的に人はどういう反応を示すでしょうか。

勿論、ああ、突破口を開いてくれた人が出てきた!
私も活動に加わろう!
今現実に困っている人のためなら、自分も多少の辛抱はしよう。
そう思う人もいるでしょう。

ところが、おそらく多くの人の反応は、「何か困ったな。」
というものじゃないでしょうか。
「なんか小うるさいな。うざったいな。」
「俺のことは放っといてくれないかな。活動してもいいからあっちでやってくれ。」
というような感覚。

なかなか人間というものは他人の痛みを自分の身に引き付けて考えることはできません。
地球が汚染されていって危ない、と言ったって、自分の生活と結びつけて考えるのは難しい。

さてそういった、「困ったな。あっちでやってくれないかな。」という感情は
どこから来るか、というと、それはやはり、自己保身の感情だろうと思うのです。
今の生活を何ものによっても変えてほしくない、という感情。

これは私自身がそうなので、その気持ちはよくわかるのです。

しかしこの、「こまったな。よそでやってくれ。」と思う気持ちが、
「排除」の気分になってしまうのはまずいだろうと思います。

3冊目。雨宮処凛「排除の空気に唾を吐け」(講談社現代新書)
この30代の女性は、うつ病、自殺志願、フリーター、そしてかつては右翼団体に所属、
今は作家、反貧困ネットワーク副代表、・・・という、いわば変わった経歴の持ち主です。
彼女は、あの「派遣村」活動で知られる、湯浅誠氏の
「人は五重に排除を受けて、貧困に陥る」という考えを引用し、
この日本に厳然としてある、貧困に落ちる者への「排除」の空気を批判しています。

「五重の排除」とは、
まず、「教育課程からの排除」
  家庭の貧しさや無理解、またいじめなどによって、学校に行きたくても行けない、
  結果的に良い収入を得る仕事に将来就きにくくなりがちな子供たち。
第二に、「企業福祉からの排除」
  フリーターや派遣など、非正規雇用の働き方にならざるを得ない人々は、
  雇用保険、休業補償などの企業福祉も得られず、常に失業の不安におびえながら働いている。
第三に、「家族福祉からの排除」
  実家の親が健在であればまだいいが、親が死んでいたり、経済力がなかったりしたら、
  家族にいざという時頼ることもできない。
第四に、「公的福祉からの排除」
  最後の頼みの綱と、公的な支援を求めようとしても、
  生活保護も、まだその資格がない、として断られるような状況。
第五に、「自分自身からの排除」
  こうなったのはすべて自分が悪い、もう死ぬしかない・・・
  と、自分を追い詰め、自殺まで考えるようになった状況。

ここに私は、「第六の排除jを付け加えたいと思います。
それは、「世間の眼の非情さ」、という排除です。
派遣村に頼っていくような奴は、生き方も考え方も甘いんだよ、というような言い方。
派遣村に行って、飯と宿を只で与えてもらって、働ける立派な体がありながら、
生活保護を受けようとするような奴に限って、3Kの仕事は自分には向かない、とか言って
断ったりするんだよな、そんな奴、国で保護してやることないんだよ、と言うような言い方です。

確かにこれは一面の真理を突いているかもしれません。
職探しして切羽詰まっているはずの若者が、少しだけ、農家で農作業の大変さを
味わうと、これは自分には向きません、と言ったり、
また、介護の現場を少し経験してみただけで、これは自分にはきつすぎます、と言ったり
するのを、報道などで私も見ています。
そういう意気地のないものも、確かに中にはいるかもしれない。
しかし、その一部を見て、派遣村を訪れ、生活保護を求める者が全て怠けもの、
であるかのようにみなしてしまうのはどうでしょうか。
中にはどうしようもない事情が重なって自殺寸前まで追い詰められていう人もいると思うのです。
勿論、怠け者にただ手は差し伸べるわけにはいかない。しっかりした区別は必要です。
ただ、今現在困窮の中であえいでいる人を、「怠けもの」「自己責任だろ」と言うような
言葉や視線で、排除するのは、とりあえずやめようではありませんか。

また、私がいつも、おかしなことだなと腹が立つのは、
こういう困った人を助けたり、反原発運動などの活動をしたりする人を、
なんとなく色眼鏡で見る空気がこの国にあることです。
なんとなく胡散臭い、変人でも見るようなまなざし。

そういった、一種の色眼鏡と言える、忌避の感情は、一体どこからくるのでしょうか。

人間の中には、「正論」というものをなんとなく忌避する感情がありはしないでしょうか。
職を失い生活に困窮している人々のために、自分を捨てて活動する人は立派だ。
そう、心の中では思いながら、それを見ていると、
なんだか自分も煽りたてられるような気がする。
鋭い正義の剣の切っ先を、突き付けられているような気がする。

すると、人はどうするか。
よくありがちなのは、揶揄することです。
困っている人々のために働いている人を、「好きだねえ。」とか言って軽く揶揄する。
また、特定の政党が宣伝活動に利用しているだけだよ、という言い方もよくされます。
それのどこがいけないのでしょう。
すべての政党が、競って救済活動すればいいじゃありませんか。

考えてもみましょう。
これが「派遣切り」、とかいう問題なら、「自分の会社は万全だし、自分は有能だから、
首を切られることは絶対にない」と自信を持って言える人もいるかもしれない。
あいつらは働けないんじゃない、働かないんだよ。
仕事なんか、選ばなければいくらでもある。選り好みしている横着な連中なんだよ。
あんな連中のために日夜救済活動するなんて無駄!
そう言って笑っていられるかもしれない。

ところがこれが、老人介護などの現場の問題であったらどうでしょう。
あと10年、あと20年?親が二人とも倒れて、自力で生きていけなくなるということは
どこの家庭でも起こりうる問題です。
日本の家庭の経済力は実は底が浅い。
痴呆がひどくなった親を、立派な高額の完全介護の施設に入れることができ、
若い者の生活が介護によって脅かされないですむ経済的余裕のある家庭というのは、
割合から言ってそう多くはないでしょう。
大抵は比較的に安い公的施設の空きが出るまで、子供のうちの誰かが
仕事を犠牲にしてでも親の面倒を見る。
それが5年10年と長く続けば、悲惨です。共倒れになって介護する者も倒れたり、
ひどい場合には親殺し、なんてことも起こりうる。女優の清水由貴子さんのように、
痴呆症の親を残して、自分が死ぬケースさえある。
また、収容された施設がとんでもない非道の待遇を収容者にしているケースも多い。

「病院たらい回し」問題ならどうでしょう。
明日は我が身かもしれません。
現に私は、数年前、主人と都心にあるかかりつけの病院に行く途中、
主人が脳梗塞の発作を起こして、電車の駅で倒れたのです。
救急車に私も乗り込み、ようやくかかりつけの病院にたどりつきました。
ほっとする間もなく、空きベッドがないことを告げられます。
かかりつけとはいっても、診療科が違えば、駆け込みの病人と同じ扱い。
医師達のあからさまな迷惑顔。
主人は青白い顔をして意識もなく、救急患者や医師看護婦でごった返す
救急棟の片隅に放り出されたまま。
いつもの担当の先生も科が違えば、受け入れ出来ないというその科の医師に
及ぼす力はなく、結局主人はそこから救急車でどんなに急いでも30分以上はかかる、
我が家の近くの、その病院の系列病院まで運ばれることになったのです。
幸い、奇跡的に回復して、今は普通に生活できるようになっています。
しかし、電車の中でいきなりふらっと倒れ、途中下車した駅で救急車を待つ心細さ、
そうして、ベッドが満床で、医師の手が足りないから、受け入れられない、
と言われた時の絶望感。二度と味わいたくありません。

慢性的な医師不足、小児科や産婦人科の医師になりたがらないという診療科の偏り。
公立病院など病院経営の不安定化、老人介護の問題、
医療保険制度、・・・・、こういった問題は、放ってておくわけにはいきません。
明日にも我が身を直撃する問題かもしれません。
「自己責任」という非難はここでは成り立ちません。
こういった問題を解決するために活動している人々を、「好きだねえ。」と揶揄できるでしょうか。

要するに、「自分からは遠い世界の問題」、と考えている時に、
人はそれで苦しむ人に無理解となり、そこで問題解決のため働く人を
なんとなくあざ笑ったりするのではないでしょうか。

例を挙げると、およそ社会的活動の中で、一番活動家が理解を得られないのが、
反原発運動ではないでしょうか。
原発事故、というのは、夏場エアコンが使えなくなってもいいのか、
などという、電力会社が言いがちな気楽な問題とは、その重大性が違うのです。
ひとたび、重大な事故に発展してしまったら、日本は壊滅的に汚染されてしまいます。
しかし、人はその事実を、想像さえ、してみたくない。
この、地震の多い国に、稼働中のものが50基もあるというのに。
ところが、反原発運動、と聞いただけで、毛嫌いする人も多い。
なぜなのでしょう。
石油がいずれ無くなるから?電気が使えなくなると不便だから?
原発も石油の代わりはできません。熱エネルギー、発電ということは出来ても、
石油が繊維になり、食品になり、生活用品のほとんどになり、勿論熱源になる、
その代わりを原子力発電がすることはできないのです。
その危険の重大さに比すれば、原発は極めて非効率的な設備です。
現代の私達の生活の快適さのために、数十年後数百年後の人類地球環境に 
禍根を残す?
一度じっくり原発のことを調べて、その実態を知ってみてください。

さて、この「知る」ということ。
これが、現代の諸問題のもつれを解きほぐし、解決策を求めるための出発点だと
私は思っています。
原発の実態を知る。介護の現場の過酷さを知る。農村の疲弊の実態を知る・・・。

それには教育しかありません。
学校教育だけではなく、あらゆる手段でこの国に起きていることの実態を
先入主なしに、大人も子供も知ること。

さて、知ったらどうするか。
解決のために動き出すことです。
ここで、前記2冊の著者の結論を思い出してください。
「なあんだ。精神論で終わっちゃうの?」
私は2冊の本の読後、そういった不満を抱きました。
しかし、よくよく考えてみると、今の日本、そして世界が抱えている問題のすべて、
では勿論ないけれど、その多くが人間の心のありようによって、
良い方向にも変えられる問題だとはにも思いませんか。
教育問題、食の安全と自給率の問題。少子高齢化問題、医療問題・・・。

勿論これらの問題を解決するためには、今のシステムを根本的に見直す必要があります。
でも、みんなで知恵を出し合い、解決方法を導き出すことはできると思うのです。
民主党の鳩山党首が、「友愛」を謳っています。
党首選の時、これを聞いて、私は「けっ!、友愛?そんな抽象的なことが政策の要?」
と、馬鹿にしたい想いを抱きました。

しかし、案外これは、今の日本に一番欠けていることなのかもしれません。
たまたま、いくつか前の私のブログで、娘が、
「これから時代に求められる人は、『いい人』なのかもしれないよ。
声高にプロパガンダを叫ぶ人などではなく、『ただもう、いい人』」
というようなことを言ったと書きました。
偶然なのですが、これは宮台真司さんの言うところの、「感染的模倣」にも、
三田誠広さんの言うところの、「国民の良識」にも、
また鳩山民主党党首の言うところの、「友愛」にも通じるところがあるのではないでしょうか。

「還らぬものを嘆いていても仕方がない」
このことを私は、このブログを通じて若い方から学びました。
真剣に学び真剣にものを考えている若者がたくさんいることを、知りました。
希望は捨ててはいけません。

もう、日本人は疲れている。そこへ檄を飛ばしても仕方ないのです。
ただ、「知る」ことは続けなければならない。
これまで以上に、この国の、この世界の実態を知る必要があります。
そうして、皆で解決策を考え、一歩一歩推し進めていく。
そこで、人間のエゴは、少しづつ抑えていかねばならないでしょう。
また、中には人の善意を悪用して、怠ける連中もいるかもしれない。
しかし、今はまだ、「非難」「悪意」の眼を、人に向けるのはやめましょう。

これらはすべては「教育」していくしかありません。

自分ところの安全性をごまかした商品を、ずるい方法で売るような業者からは
ものは買わない。
少々高くても、安全な野菜を作る農家から買い入れる。
車に頼らず、公共交通機関や自転車を活用する。
人を貶める誹謗中傷などを流すなどということは卑怯なことだという教育を
幼い時から植えつける・・・・・。
労働で汗し、収穫する喜びを知る・・・。

何よりも、大人が、「かくありたい」という未来の理想像を自らしっかり持って、
それに向かって進んでいくことが必要なんじゃないでしょうか。
人をただ責めても何も生み出さない。
なぜそこに至ったか、を徹底的に調べ、原因や実態を知って、
皆の知恵を結集して、解決の方法をひとつづつ見つけていく。

「貧困の連鎖」「悪意や誹謗中傷の連鎖」ではなく、
「まじめに働けば正当に報われ」「善意を人に分かち合う」・・・
そういう、「希望の連鎖」をみんなで生みだしたいものです。








No.105 / 思うこと / Comment*19 / TB*0 // PageTop▲

 Home 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。